Gustavo Alfaro - グスタボ・アルファロ
パーソナルデータ
フルネーム Gustavo Julio Alfaro
あだ名 Lechuga (レタス)
生地と生年月日 サンタフェ州ラファエラ
 1962年8月14日 (56歳)
アルゼンチン
監督キャリア
競技種目 サッカー
現所属 CAボカ・ジュニオルス
監督デビュー 1992年
(アトレティコ・デ・ラファエラ)
リーグ Bandera de Argentina スーペルリーガ・アルヘンティーナ

 

グスタボ・フリオ・アルファロは 、アルゼンチン共和国サンタフェ州ラファエラ出身の元サッカー選手、解説者、指導者。2019年1月2日からボカ・ジュニオルスの監督を務めている。

現役時代

サッカー選手としての現役寿命は非常に短く、それは生まれ故郷のアトレティコ・デ・ラファエラから始まった。ポジションはミッドフィールダーで、1988年から1992年まで所属した。1989年にプリメーラ・ディビシオン昇格を経験し、1992年に引退している。チャコ州リーグ所属でレシステンシア市にホームタウンを置くCAビジャ・アルベアル、スポルティーボ・ノルテにも所属した時期がある。

指導者時代

アトレティコ・デ・ラファエラ

現役引退後、そのままラファエラの監督を1992年中務めた。以後2008年半ばまでまでCAベルグラー・デ・コルドバ、オリンポ、キルメスAC、アルセナルFCといったプロビンチアを指揮し、2008年10月10日にCAロサリオ・セントラルと翌年6月までの契約を結んだ。アル=アハリ・サウジFC監督を経て2010年にはアルセナルに復帰した。
監督としての実績では2002年のオリンポのプリメーラB・ナシオナル優勝と1部昇格、2003年のキルメスACでの2部優勝、昇格初年度での好成績でコパ・スダメリカーナとコパ・リベルタドーレス出場権を勝ち取った点が突出している。

CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ

2005年の半ば、アルファロに国内5大ビッグクラブのひとつサン・ロレンソからオファーが届いた。当時サン・ロレンソは2004-05後期で優勝を逃したが最後は2連勝で締めくくり、次のシーズンに向けてのチーム再編成を模索していた。チーム作りの構想を巡ってアルファロとの交渉は難航したが、最終的にサン・ロレンソは彼のリクエストする8人の補強を実現させ、ホセ・サトゥルニー・カルドソとパオロ・モンテーロが加入し、またエセキエル・ラベッシの保有権を完全に買い取った。当然期待は高まったが、アルファロ率いるチームはリーベルに1-5、バンフィエルドに0-5、コロンに1-4など稀に見る大敗を喫し、勝ち点は28しか取れなかった。コロンがサン・ロレンソとのアウェイ戦で勝ったのは27年ぶりの事で、ペドロ・ビデガインにおいては初勝利であった。またアルファロはクラブの歴代のステージ成績において、アウェイ敗戦数最多記録、最多39失点を喫した。後期に入ってもチーム状態は回復せず、アルファロは3節終了時に解任されたが、この時点における彼のチームが挙げた得点は前期第1節から通算14点で、シーズン終了時の総得点の3分の1であった。しかしアルファロ解任後は後期通算14失点で9位となり、これは優勝したボカと同じ数字であった。ラファエル・サビーノ会長はファンからの度重なる解任要求にも屈せず来季も監督を続けてくれるよう頼んだが、上述の後期リーグ序盤までの極度の成績低迷で擁護しきれなくなり、実質的に周囲のクラブ首脳陣とインチャの圧力に押された形とはなったが、自分の口から解任をアルファロに告げた。アルファロは前期リーグの最中に自身の解任はもう既定路線であろうと語った事があり、通常アルゼンチンでは自ら監督がこのような弱音を吐くことは珍しいが、「(契約条項へ)いかなる介入も許さなかったし、途中解任であっても契約通りの年俸が支払われた」そうである。退団直後、アルファロはロサリオ・セントラルとすぐに合意に達したが、「避けがたい性格的不一致」を理由に契約直前で監督就任を自ら断った。なお、この時期から副業としてコロンビアで解説業を始め、2018FIFAワールドカップまで長く続けていた。

アルセナルFC

2006年オフにアルファロはアルセナルFCの監督に就任し、プリメーラ・ディビシオンにおける同クラブの当時の史上最高成績を挙げてコパ・スダメリカーナ2007出場権を獲得し、初出場で初優勝。更にクラブ史上初めてコパ・リベルタドーレス出場を決めた。しかし2007-08シーズン終了後に契約更新をせず退団した。スルガ銀行チャンピオンシップで前年のJリーグカップ王者ガンバ大阪と対戦する為、アルセナルが来日する約一か月ほど前の出来事である。

ロサリオ・セントラル

2008年10月9日木曜日、ロサリオ・セントラルを率いていた「ビタミン」ことパブロ・アンドレス・サンチェスが解任された。ほぼ同じころアルファロは解説業を営んでいるコロンビアで代表チーム監督就任のオファーを拒否しており、その後オラシオ・ウサンディサガ会長とすぐ合意してセントラルの監督に途中就任する事が決定した。就任当初は「セントラルと共に頂点をつかむコーチ」と喧伝されたが、14試合を終えて2勝2分10敗とまるでチームを浮上させられず、翌年の後期リーグ途中の2009年2月28日に契約解除が発表された。

アルセナル第二期

2010年6月16日水曜日、アルファロのアルセナル復帰が発表された。2010-11前期でチームは3位に躍進し、さらに2011-12後期リーグではクラブ初のアルゼンチン1部リーグ優勝を決めた。プロ化以降、ブエノスアイレス大都市圏とサンタフェ州ロサリオ市以外にホームタウンを置くクラブが優勝したのは、2009-10前期のバンフィエルド以外ではアルセナルだけである。またアルセナルは2012-13シーズン開幕前のスーペルコパ・アルヘンティーナで、コパ・アルヘンティーナ優勝のボカと対戦し、PK戦の末に勝利した。
翌シーズンにアルセナルはコパ・アルヘンティーナで初めて決勝に進出し、かつてアルファロが辛酸をなめたサン・ロレンソを3-0で破って初優勝した。この時点でアルセナルが獲得したタイトルは、スルガ銀行杯を除き全てアルファロの指揮下によるものである。
翌2014年4月、アルセナルは急激に順位を落としリーグ最下位に沈んでいた。アルファロは契約満了の6月末日を待たずして自ら辞意を表明したが、その数日後にチームはコパ・リベルタドーレスでベスト16進出を決めた。しかし第13節終了時に勝ち点10という国内状況を重く見たクラブ上層部は、約12時間後にアルファロとの契約を途中解除する事を決め、同時にマルティン・パレルモが後任監督となる事を発表した。

CAティグレ

2014年9月にアルファロはCAティグレの監督に途中就任し、2016シーズン第8節までチームを指揮した。成績はリーグ、コパ・アルヘンティーナ、プレ=スダメリカーナ、コパ・スダメリカーナを合わせて20勝11分18敗で、勝率は48.29%であった。

ヒムナシア・イ・エスグリマ・デ・ラ・プラタ

アルファロはティグレ退団から程なくしてヒムナシア・イ・エスグリマLP監督に就任した。チームは滑り出しから好調で、2016年シーズンのリーグで最終的に10位に入ったほか、コパ・アルヘンティーナでは準決勝に進出し、リーベルに0-2で敗れた。2016-17シーズンにはリーグで最長5連勝を記録し、コパ・スダメリカーナ2017出場を決めた。スダメリカーナではブラジルのAAポンチ・プレッタと初戦で当たり、合計1-1・アウェイゴール0-1で敗退した。そ後リーグでは連敗のトンネルに入り、さらにエストゥディアンテスとのクラシコにも全敗した。アルファロは2017年5月にGELPの監督を辞任した。

CAウラカン

ヒムナシアLP退団後、アルファロはCAウラカンの監督に就任し「スーペルリーガ」の名称が出来た初年度の2017-18シーズンで4位となって、コパ・リベルタドーレス2019出場権を勝ち取った。だが翌シーズン途中にボカが成績不振を理由にギジェルモ・バロス・スケロット監督を途中解任すると、後任候補としてアルファロの名前が浮上し、また同時にウラカンの後任候補としてOBのリカルド・モハメーとエドゥアルド・ドミンゲスの名前が早くも報道されるなど状況は混乱した。最終的にアルファロはボカからのオファーを受諾し、クラブ経営陣とインチャ達に「わかってほしいとしか言えない、申し訳ないの一言です」と​言い残し退団した。

ボカ

2019年1月2日にアルファロはボカの監督として契約を締結し、1月27日にリーグ戦のニューウェルス戦で初陣を迎え1-1で引き分けた。リーグでは最終的にラシン、デフェンサ・イ・フスティシアの後塵を拝して3位となったが、一方で5月2日に行われたスーペルコパ・アルヘンティーナでロサリオ・セントラルと90分を戦って0-0、そしてPK戦を6-5で制し優勝した。6月2日のコパ・デ・ラ・スーペルリーガ決勝戦では古巣ティグレに0-2で敗れ、準優勝に終わった。試合後の会見でアルファロは「チームが一体性のあるゲーム運びを欠いている」と、メディアから批判された。
コパ・リベルタドーレス2019ではアトレチコ・パラナエンセ、デポルテス・トリーマ、ホルヘ・ウィルステルマンと同居したグループGを3勝2分1敗で首位突破。5月13日にパラグアイのルケで行われた抽選で、ベスト16で再度アトレチコ・パラナエンセと対戦する事が決まった。7月24日にクリチバのアヘーナ・ダ・バイシャーダで行われた第1戦はボカが0-1で勝った。

副業

2006年からアルファロはコロンビアのテレビ局カナル・カラコルにコロンビア代表戦の解説者として招かれ、同局が中継するFIFAワールドカップ本大会でも解説者として出演した。同局は実況の盛り上げに非常に力を入れているが、アルファロの冷静かつ過不足の無いコメントが暴走に歯止めをかけ、程よい空気を視聴者に与えていた。2014年大会ベストゴールに選ばれたウルグアイ戦のハメス・ロドリゲスの先制のゴラッソ、日本戦の4-1の大勝、2018年大会初戦の日本戦の敗北などもアルファロが実況のゴールシャウトが終わって試合が再開されるまでの限られた時間に(時にはリプレイ中まで叫び続けることもあるが)、リプレイと共に得点についての解説をしていた。
  • Bandera de Alemania 2006FIFAワールドカップ
  • Bandera de Sudáfrica 2010FIFAワールドカップ
  • Bandera de Brasil 2014FIFAワールドカップ
  • Bandera de Rusia 2018FIFAワールドカップ

コパ・アメリカ

  • Bandera de Venezuela ベネズエラ2007
  • Bandera de Argentina アルゼンチン2011
  • Bandera de Chile チリ015
  • Bandera de Estados Unidos 米国2016(センテナリオ)

FIFAワールドカップ南米予選

  • Bandera de Sudáfrica 2010FIFAワールドカップ
  • Bandera de Brasil 2014FIFAワールドカップ
  • Bandera de Rusia 2018FIFAワールドカップ
他にカラコルが中継するUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAヨーロッパリーグの解説もこなした経験がある。

・ESPNデポルテスのプロフィール 


翻訳元最終更新履歴 es.wikipedia:Gustavo Alfaro 02:33 25 jul 2019‎ (UTC)